
わたしの葬式には菊とかじゃなくチューリップとハイビスカスとカサブランカを飾ってほしい
わたしの母は父が危篤状態になった時、「某百貨店系列の葬儀団体の会員になる手続きをしておいで! そしたら葬式の料金が何割か安くなるから!」と言ってわたしの妹を百貨店へ走らせた。
母のこの行動は当然賛否両論あるだろうが、わたしは母のそういう現実的なところが好きだ。
わたし自身、悪性の脳腫瘍だと診断された時に「もしかしてあの保険が下りるのではないか…」という皮算用がすぐ頭をよぎる程度には、現実的なほうだと思う。
極端な例かもしれないが、
「これは1リットル5万円の、悪性脳腫瘍に非常によく効く水素水です。一日500ccを半年飲み続けると腫瘍が消え、二度と再発しない体になるんですよ」
と言われても買わない自信はあるけど、これが
「生のニンジンを絞ったフレッシュジュースを毎朝コップ一杯飲むと、脳腫瘍やガンに効くって言われているんですよ」
となると、「それくらいならやってみようかな、うちにバーミックスあるし」と思う。
「この立派な壷を購入して玄関に置いておくだけで病魔はすべて去ります。500万円ですが、命には代えられませんよ」
と言われても壷は買わないけど、
「この神社にお願いしたことは大抵叶うらしい」
といううわさを聞き、それが自宅から比較的近いところであると判明した場合、「その神社でお守りくらい買ってこようかな」と思う。
この境目はどこなのだろう。
水素水とニンジンジュース、壷とお守りの違いはどこなのだろう。
金額ではないような気がしている。
とりあえず無事年が明けたら、近所の神社でお祈りくらいはしてこようと思う。先述の神社とは違うけれど。
実はわたしは喪中なので神社にはいかないほうがいいのかもしれないけど、こないだ94歳で大往生した函館のばっちゃんはそんな堅苦しいこと言わないよ、きっと。
ばっちゃんで思い出した。
むかしむかしばっちゃんがうちに遊びに来た時、その時買っていたワンコがばっちゃんの顔をべろんべろん舐めまわした。そのときばっちゃんは言った。
「Mさん(わたしが1歳の時に亡くなったじっちゃん)と昔いっぱいチューしたからもうチューはいいんだよう」
わたしもこういうことを平気で言うばっちゃんになって、娘たち(もしくはまだ見ぬ孫たち)に呆れられたい。