
(もうすぐ梅雨ですね)
前回わりと好評だった夫の記事、第2弾です。夫の気が向いている限りは週1くらいでアップしていきます。
できれば嘘つかずに生きたい~ピグマリオン効果の本質【夫寄稿】
ピグマリオン効果と呼ばれるものがある。
バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』、あるいは『マイ・フェア・レディ』のヒギンズ教授とイライザと言った方が分かりやすいかもしれない。
要は、誰かのことを「きっと上手くいく・きっと伸びる」と信じていると、本当にその人が伸びていくという効果のことだ。
それなら聞いたことがあるという人が多いだろう。
ちなみに逆の効果はゴーレム効果という。あまり知られていないが。
では、なぜこの効果は生じるのだろうか。
誰かに信じてもらって励まされると人は頑張るのだろう、と多くの人は考える。
そういった暗示としての効果なのだろうか。
何が人を伸ばすのだろうか。
ちょっと寄り道して、よくある例を考えよう。
ある高校生がいる。その子の通う高校では、校内での携帯電話・スマホの使用を禁じている。しかし、その子は教師に見つからないように、こっそりスマホを校内で使用している。
友人がその状況を心配し、「見つかったら先生に叱られるよ。やめときなよ」と言う。
「大丈夫だよー、絶対ばれないって!」
「やめときなよ」
「大丈夫だって」
何度か繰り返されるやり取り。
その後、その子は実際に教師に見つかってスマホを没収される。
そこで友人はどう思うだろうか。
「かわいそうに」だろうか。
別の例を。
朝、学校に向かう子どもに向かって、「今日は雨が降りそうだよ」と言う親を想像しよう。
子どもは、「大丈夫だよ」と言って、聞く耳と傘の両方を持たずに登校する。
夕方、雨が降り始める。
びしょ濡れになって帰ってきた我が子を見て、その親はどう感じるだろうか。
親としてこれを読んでいる人は想像してみてほしい。
親の心に余裕があれば、
その子が普段は親の言うことに耳を傾けているのであれば、
今回だけたまたま言うことを聞かなかったのであれば、
「かわいそうに」と思うだろう。
しかし、親の心に余裕がなく、また、その子が普段から親の言うことを聞いていなければどうだろうか。
「だから言ったのに!」
という言葉が浮かんでいないだろうか。
人は誰しも嘘つきにはなりたくない。
なるべくなら嘘をつかずに生きていきたいし、他人から嘘つきだと思われたくもない。
人は自分の予言が実現することを願う。それを願っているという自覚のないままに。
「先生に見つかったら叱られるよ」と言う友人は、
「みつからないまま時が過ぎる」という結果ではなく、「やっぱり叱られたでしょ」という結果を願う。
「雨が降りそうだよ」と言った親は、
「雨、降らなかったね」ではなく、「やっぱり本当に雨が降ったね」という結果を願う。
「ね、だから言ったでしょ」と人は言いたいのだ。
誰しも心当たりがあるのではないか。
自分の子どもに、「だから言ったじゃない!」と言ったことのない親はいないのではないか。
- ちゃんと歯磨きしないと虫歯になるよ。
- 早くパジャマを着ないと風邪ひくよ。
- 走り回ると転ぶよ。
- 引っ張ると破れちゃうよ。
- おやつを食べすぎると夜ご飯が食べられないよ。
子育てとはこういう言葉の連続だ。
しかし、である。
最初は心配して子どもにかけている言葉が、いつの間にか「ね、だから言ったでしょ!」を言うための前フリになってはいないだろうか。
あまりにも言うことを聞かない子どもを見ながら、いつしか心のどこかで、
- 「一回ぐらい虫歯になっちゃえばいいんだ」
- 「軽い風邪をひいちゃえばいいんだ」
- 「ケガをしない程度に転べばいいんだ」
- 「本当に大事なものじゃないから、ちょっとぐらい破れちゃえばいいんだ」
- 「どうせならこの子の好物を夜ご飯に出して、食べられないことを後悔させてやろう」
と思う自分がいないだろうか。
悪いことではない。悪いと言っているのではない。
人間とはそういうものだ。誰もがそうだということを伝えたいだけだ。
ただし、このことを自覚しているかどうかは重要だ。
この自覚がないと、誰かを励ますつもりで呪いの言葉を吐き続けることになる。
生徒に、「君の成績は絶対に伸びる」と言った教師は、それが実現することを望む。
だから、その子が勉強をサボり始めると、「もうひと踏ん張りしてみよう」という声をかける。
サボりがちになっていた勉強が軌道修正されていく。
その結果、本当にその子の成績は伸びていく。
「ね、だから言ったでしょ」
生徒に、「君の成績は絶対に下がる」と言った教師は、それが実現することを望む。
だから、その子が勉強をサボり始めると、しばらく放置しておこうと考える。
サボりがちになっていた勉強は軌道修正されない。
その結果、本当にその子の成績は下がっていく。
「ね、だから言ったでしょ」
大人の世界でも同じだ。
部下を励ますつもりで、「このままだとダメだよ」と言う上司と仕事をしなくてはならない人は、注意する必要がある。
あなたがピンチに陥ったとき、その上司があなたを助けるタイミングは少し遅れる。助けてくれるとすれば、であるが。
上司の喉元には、「だからあらかじめ言ったんだけどなぁ」というセリフが準備されている。
厳しいことを言ってくれる人と「このままだとダメだよ」と言う人は違う。
厳しいことを言いながらも、「こうすれば上手くいくよ」と言ってくれる人が、自分を伸ばしてくれる人である。
自覚しておこう。
自分が誰かにアドバイスをする立場にいるのなら、他人を伸ばすことを仕事としているのなら、
「このままではダメだよ、失敗するよ」は見捨てる言葉である。
本当に誰かを伸ばしたいのなら、伸びる理由を見つけてからそれを伝えていては遅いのだ。
根拠なく、直感的に言う。理由はいらない。
きちんとした根拠を伝えることが目的ではない。その人を伸ばすことが目的なのだ。
「○○さんはきっと上手くいきますよー」
でいい。全てはそこから始まる。
あなたは、その人を伸ばす責任を無意識に感じ、何かあるごとにその人を助けるようになる。必ずそうなる。
「あなたはきっと上手くいく」と信じる気持ちと、
嘘つきになりたくない、自分の予言を実現させたいと願う気持ちに伴う何らかの行動。
これこそがピグマリオン効果の本質ではないか。
「○○さんはきっと上手くいきますよー」の輪を広げませんか。
自分は誰かにアドバイスをする立場にいるわけではない、
自分の仕事は他人を伸ばすことというわけではない、と考えている人へ。
大人の責任とは、子どもを伸ばすことである。我が子であれ、他人の子であれ、子どもに道を示すことである。
何をしていいかわからないのなら、子どもに「大丈夫、きっと上手くいくよ」と言ってみよう。
きっと上手くいくはずだ。
その子も、あなたも。